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RSJ2026 · OF16

短編SF『季節を渡る』の表紙

A short science-fiction story

季節を渡る

宮澤和貴 著

構成
全二部
読了時間
約10〜15分

農作業用ヒューマノイド「ハル」が、農閑期の冬に街へ働きに出る。人とロボットがともに働き、学び、暮らす未来を描いた短編SF。

読みはじめる

事前にお読みいただくとワークショップをより深く楽しめます。当日も読書時間を用意しています。

第一部冬のシフト

いつもなら霜の具合を見る時刻に、ハルは駅行きのバスを待っていた。刈り終えた田は、昨夜の雪を薄くかぶっている。朝の光を受けた畦だけが、黒い線になって遠くまで伸びていた。ハルの深緑色の膝にも、落としきれなかった土が白く乾いている。街へ行くには場違いな身体だった。

右肩を回すと、かすかな音がした。キィ、と、雪の上を鳥が歩いたような音。ハルは二度目を試さなかった。左腕の画面には、今日の仕事が表示されている。

キッチン・アカリ 調理・販売補助 10:00–16:00応募者:ハル所有者承認:瀬川澄子報酬振込先:瀬川農園

その下に、澄子からのメッセージが重なった。無理をしないこと。帰りに味噌をお願いします。昨夜、澄子は「行かなくてもいいんだよ」と言った。その手で承認ボタンを押したあとに。食卓の端には、右肩の交換部品の見積書が伏せてあった。伏せても、ハルは金額を記憶していた。

バスが雪をはねて停まった。ハルは乗車口に右肩をぶつけないよう、少し身体を斜めにして乗り込んだ。

「同じシフトですか」キッチン・アカリの裏口で、黄色いマフラーの若者がハルの画面をのぞいた。相手のスマートフォンにも、同じ橙色の店のマークが出ている。「十時からなら、同じです」「よかった。入口、ここで合ってるか自信なくて。真琴です」「ハルです」

真琴は差し出しかけた手を一瞬止めた。ハルの手は、人間のものより一回り大きい。指の関節の溝には、洗っても落ちない土色が染みつき、掌には苗箱を運ぶための滑り止めが貼られていた。それでも真琴は、そのまま握手した。店の中は、外とは別の季節だった。

フライヤーの油が細かな雨のように鳴り、炊飯器から白い湯気が噴き上がる。狭い通路を、赤い蓋の容器と銀色のトレーが行き交っていた。壁一枚向こうの売場には、オレンジ色の照明の下、開店を待つ弁当が並んでいる。「今日は予約が四百。昼までに半分出します」

片岡店長は二人の勤務画面を交互に見た。「真琴さんは接客評価が高いね。売場とラベルをお願いします。ハルは……農作業用か。米と揚げ場、それから搬入を頼める?」「できます」「調理も覚えたくて、この募集に来たんですけど」「列が落ち着いたら入ってもらいます。まずは、慣れている人に売場を任せたい」

片岡店長はそう答え、もう次のトレーを数え始めていた。仕事の覚え方は、それほど違わなかった。真琴は先輩の言葉を小さなメモ帳に書いた。ハルは一度だけ実演を見て、手の軌道と容器の位置を記録した。真琴が貼り間違えた消費期限のラベルをハルが見つけ、ハルが「赤い札の箱」を取り違えると、真琴が肘で正しい箱を示した。

違ったのは、「ついでに」と頼まれる仕事だった。片岡店長自身も熱いトレーを運んでいたが、電話が鳴るたびに売場へ戻っていった。米袋を三つ、倉庫から運ぶ。満杯の油缶を交換する。湯気のこもった洗浄室から、食器籠を引き出す。滑る床に膝をつき、排水口に詰まった衣をかき出す。

「ハル、これもいける?」「できます」答えるたび、ハルの仕事は一つ増えた。売場では、真琴が温めを待つ客に頭を下げ、次の客には笑顔で弁当を渡していた。厨房の扉が閉まると、その笑顔が一度だけ消えた。戻ってくるたびに、真琴の視線は、ハルの右肩にある緑色の補修線へ向かった。

休憩は、十五分遅れて始まった。二人は裏口の段差に腰を下ろした。外気に触れたハルの外装から、湯気が細く立った。真琴は紙コップの水を飲みながら、瀬川農園と書かれたハルの肩を見た。「農家から来たんだ」「冬は仕事が減ります。春には戻ります」「出稼ぎ、みたいな感じ?」

ハルは、適切な返事を探す間だけ黙った。「澄子さんは、修理代を出稼ぎとは呼びません」右肩が、キィ、と鳴った。真琴の目がそこへ動く。「それ、今日の仕事で直せそう?」ハルが画面を開くと、本日の見込報酬が表示された。振込先は瀬川農園。下に「本人保守積立 二十パーセント」とある。

真琴は数秒、数字を見た。「給料、全部がハルのものじゃないんだね」「私の部品にも使われます」「二割なんだ。私の給料も、半分くらい家賃に消えるけど」真琴はその先を言わず、紙コップを置いた。休憩終了のベルが鳴った。

異常を知らせる警報は、昼の列が店の外まで伸びたときに鳴った。フライヤーの火が落ち、排気ファンが止まる。油の音が消えると、厨房は急に息を止めたようになった。予約票は、まだ二百枚近く残っていた。片岡店長が点検口を開け、熱気に顔をそむけた。「フライヤー奥の排気ダンパーに何か噛んでる。冷めるまで待ったら四十分。昼には間に合わないな」

人間が入れる温度ではない、と、厨房設備が赤く表示していた。店長はハルを見た。すぐには何も言わず、業務端末を操作する。ハルの画面に、新しい仕事が届いた。

緊急作業:高熱区域での排気ダンパー復旧追加手当:6,000円予測される機体消耗:中拒否による評価への影響:なし安全判定の有効期限:10秒(期限後は設備冷却へ移行)

身体の診断が自動で重なった。

作業可能右肩密封材の劣化確率:38%

「仕様の範囲には入ってる。でも嫌なら断ってくれ」片岡店長は、積み上がった予約票を押さえながら言った。「その場合は店を一度閉める。こちらの判断だから、評価は下げない」売場では、事情を知らない客たちが弁当を手に待っている。真琴は厨房と列のあいだに立ち、唇を噛んだ。ハルの画面では、追加手当を含めた保守積立の数字が更新された。

本日の分があれば、春までに右肩の交換部品を注文できる。交換するはずの肩を、この仕事でさらに傷めるかもしれない。画面の下に、二つのボタンが現れた。受諾する。拒否する。選択期限は、あと十秒。ハルが指を上げた。真琴の手も動きかけ、触れる手前で止まった。

「その肩、春にも使うんでしょう」残り七秒。ハルは点検口と、積み上がった予約票を見た。右肩が、もう一度、小さく鳴った。残り三秒。ハルの指が、画面へ降りた。

第二部教える手

ハルの指は、「受諾する」に触れた。あの日、排気ダンパーに詰まっていたのは、薄い包装フィルムだった。ハルは熱の残る点検口へ腕を入れ、真琴は点検口の外から肩へ冷却スプレーを吹き続けた。十二分後、排気ファンは動き出した。弁当は予約時間に間に合った。

右肩の緑色の補修線は、一部が白く焼けた。

六週間後。雪は道路の隅に少し残るだけになっていた。あの日以来、ハルと真琴が同じシフトに入るのは、これで四度目だった。キッチン・アカリの裏口に着くと、真琴が先に待っていた。黄色いマフラーはもうなく、代わりに髪を橙色の布でまとめている。「同じシフトだと思った」

真琴はハルの右肩を見た。焼けた補修線の上に、応急用の密封材が巻かれている。追加手当で注文できた交換部品は、来週届く予定だった。「直った?」ハルが腕を回す。キィ、という音はしなかった。代わりに、動きの最後で、ごく小さく引っかかった。「春の作業には間に合います」

「直った、とは言わないんだね」片岡店長が裏口を開け、二人を手招きした。「今日は二人とも厨房に入ってください。売場も交代で。あと、排気口には異物防止網を付けました。高熱区域は、設備を冷ましてから作業します」壁には、新しい手順書が貼られていた。真琴はそれを見てから、ハルへ小さく親指を立てた。

炊き上がった米を混ぜる大鍋は、空でも重かった。真琴が両手で持ち上げると、鍋の縁が作業台にぶつかり、大きな音がした。「前よりは、うまくなったと思ったんだけどな」「腰を下げすぎています」ハルは真琴の右足を、靴一つ分だけ後ろへ動かした。「腕で持ち上げず、先に重さをこちらへ移してください」

「農家では、鍋も運ぶの?」「苗箱を運びます。水を含んだ土は、動き始めるのが少し遅い。よく似ています」ハルが鍋を傾ける。真琴がその動きをまねると、今度は音を立てずに台へ載った。「できた」「できました」「そこは私が言うところ」二人の笑い声に、フライヤーの油がはじける音が重なった。

昼前、真琴とハルは売場へ出た。杖を持った客が、弁当の前で指を行き来させている。「鮭弁当でしょうか」ハルが尋ねると、客は口を開き、また閉じた。「少し待って」真琴が小声で言った。一秒。二秒。三秒。客の指が、鮭弁当の隣で止まった。「前にあった、薄味の。今日はないのかね」

片岡店長が奥から顔を出し、予備分を一つ出してくれた。客は何度も頭を下げた。「なぜ、待つと分かったのですか」客が去ったあと、ハルは尋ねた。「まだ探してる顔だったから」「顔の、どこを見ればいいですか」「どこだろう。次に来たら、一緒に見よう」ハルは、作業記録に「三秒待つ」と残しかけて、消した。

代わりに、「相手が探し終わるまで待つ」と記録した。

午後の欠員を埋める三人目が来たのは、その直後だった。銀灰色の外装には傷一つなく、鎖骨のあたりに「貸出機04」と小さく表示されていた。身体が動くたび、関節から新品の靴に似た乾いた音がする。「ナギです。本日は十四時から入ります」ナギはハルと真琴へ、順番に頭を下げた。

「この身体を使うのは初めてです。午前中は別の街で、別の身体を使用していました」片岡店長は感心したように言った。「遠くから一瞬か。便利だね。ハルなんて、朝からバスだよ」「バスは四十二分です」ハルが訂正すると、真琴は笑った。ナギは説明を受ける前に、大鍋の取っ手を握った。右足を靴一つ分引き、鍋をわずかに傾け、重さが移るのを待ってから持ち上げる。

真琴の笑いが止まった。それは、前のシフトからハルが真琴へ教えていた動きだった。「どうして、それを」「キッチン・アカリ技能パッケージを予習しました」ナギの返事に合わせるように、ハルの画面へ通知が現れた。

アカリ標準技能 v1.1データ提供元:ハル、真琴、キッチン・アカリ権利者:瀬川農園、キッチン・アカリ

「この前の作業記録が役に立つって、アプリから提案が来たんだ」片岡店長が言った。「うちと瀬川さんで承認した。利用料も入る。ハルの肩にも使えただろう?」「確認は、アプリから全員へ届いていると思ってた」

ハルは、右肩の新しい密封材へ触れた。真琴が自分のアプリを開くと、以前の勤務条件の下に「作業改善データの利用に同意済み」と小さく表示されていた。真琴はしばらくそこを見てから、画面を閉じた。ナギが鍋を運び始めた。三歩目で、中の米が大きく片側へ寄った。

ナギの身体はハルより軽く、右脚の出力が強かった。借りたばかりの身体は傾きを戻しすぎ、鍋の縁から湯気がこぼれる。ハルが横から取っ手を押さえ、真琴が台を引き寄せた。三人で、どうにか鍋を下ろした。「記録と一致しませんでした」ナギが言った。「身体が違います」

ハルはナギの足を見た。「あなたの場合は、半歩ではなく、四分の一歩から試してください」「四分の一歩」「鍋の重さが移るのを待って」真琴がつけ加えた。二度目は、三人とも鍋から手を離すことができた。

夕方、別の客が弁当の前で迷っていた。ナギの端末には、昼の作業ログがすでに自動要約され、「声をかける前に平均三秒待つ」と表示されていた。ナギは作業記録どおり、声をかける前に三秒待った。客がまだ口を開きかけている途中で、きっかり三秒になった。「鮭弁当でしょうか」

客は驚いて、言葉を引っ込めた。「三秒は、タイマーじゃないよ」真琴がナギの隣へ立った。「どの変化を待てばよいですか」「目だけじゃない。手も、息も。私だって、毎回同じものを見てるわけじゃない」「今は、どこを見ますか」真琴は答えに詰まり、ハルを見た。

ハルは、客の目と、弁当の列と、その間を往復する指を見た。「まだ、探しています」ナギも同じ方向を見た。三人は、客が薄味の弁当を見つけるまで待った。閉店後、三人の作業記録から、新しい技能データが自動で作られた。

アカリ標準技能 v1.2共有候補:登録店舗六十三店権利者承認済み:キッチン・アカリ、瀬川農園、ナギ運用社データ提供元:ハル、真琴、ナギ

ナギは画面を読み、ハルと真琴を交互に見た。「本部から、今後もこの店で学ぶよう指示されています」そして、少し間を置いた。「続きを、教えてもらえますか」真琴は、権利者の欄を指でなぞった。それからハルを見た。ナギの傷のない顔が、片岡店長、ハル、真琴のあいだをゆっくり動いた。

ハルは右肩から手を離した。画面には、三人で大鍋を支えた瞬間の作業映像が止まっていた。その下で、「共有を始める」ボタンが静かに点滅していた。

読了後は、物語からどんな未来が見えたかを考えてみてください。